2006-12-05
日本の宇宙開発
それは、一人の男の情熱から始まった物語である。
男の名は、糸川英夫。敗戦の焦土と化した日本の片隅で、彼の目は宇宙にむけられていた。
いつかあの空へ、自分たちの手でロケットを。
そして、彼の戦いは始まった。
外圧により根絶やしにされた航空産業。活躍の場を奪われ、各分野へと散っていった専門家たち。不足する予算。
そんな数多の困難の中、こつこつと研究室で作り上げた彼のロケットは、全長23センチのごく小さなもの。
しかしそれが水平発射された1955年3月11日、彼の宇宙への扉は開いたのだった。
その後も、彼と彼の後継者の道のりは平坦ではなかった。
あいも変わらず足りない予算。無理解な日本政府。
1966年、打ち上げを試みるも失敗。
開発に無理解な者達が心無い非難をし、海の向こうではアメリカとソビエトが華々しく開発合戦を繰り広げる中、大学予算をやりくりする彼らはやがて、一機の衛星を完成させた。
日本初、そして世界初の、大学主導で打ち上げられた人工衛星第一号。
日本時間1970年2月11日13時25分、「おおすみ」は宇宙へと旅立った。
そして33年後の日本標準時間2003年8月2日午前5時45分、再突入のため消滅。
これはペンシルから50余年にわたる、長く熱い戦いの歴史である。
蛇足
物語のプロローグ風に書いてみました。単なる思い付きです。
無理解な周囲に苦労しつつ、熱い思いを糧に前進し続けるのはプロジェクトX的なバカ一ですね。
元ネタはこちらをごらんください(「おおすみ」33歳で大気圏突入)
これはいくつかのリアル嫌展も含んでますが、個人的には
っていうのが一番のリアル嫌展かなと。後身であった宇宙科学研究所も、100グラムのペイロードをめぐって喧々諤々していた(M-Vはみんなの希望を運ぶためにはいささか小さかったから、が理由ですな)ステキ環境でしたから、予算ないよ~ロケット小さいよ~というのは日本の伝統らしいですけどね。
そのほかに、かつての「はやぶさ」計画を横から掻っ攫われそうになってる日本とか、それに無関心で予算をつける気が少なそうな日本政府とか、民間人は応援しようと頑張ってるとか(404 Not Found)、こっちも微妙に嫌展入ってますね。
しかしここでうまく行けば、これも王道のプロジェクトXになれそうです。
……しっかし、「はやぶさ2に5億円の予算を出してやってくれ」というメッセージを民間から送ってやるのが有効、ってのも微妙に嫌展だなあ。
技術立国なんて自称したがる国なんですから、5億くらい出してやって欲しいと思うのですが。
こいつは番外編なので、いつもとフォーマットが違うのは気にしないで下さい。